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久々に日本人ジャズボーカリストです。1967年新宿のクラブのハワイアンバンドで「サントワマミー」など、スタンダードを唄っていた頃、東芝EMIにスカウトされデビューした。「ゆうべの秘密」を作詞した長沢朗氏に見出された。リリースしたシングルは「しあわせにふるえて」「雨の小豆島」など5枚。ヒットせず、「女はブルース」という演歌を歌わされたことから、プロ歌手生活に嫌気が差し3年契約の2年目に「やめたい」とレコード会社に漏らしたら、即クビになったという。 70年から沢田靖司氏に師事しジャズを学び、地方巡業をこなした。72年から2年間は渋谷の同伴喫茶で歌い、74年、後藤芳子の推薦で「じゃずろう会」に所属するようになる。 それ以来、松本英彦、世羅譲、ジミー竹内、北村英治、稲垣次郎、ジョージ大塚、市川秀男などと共演している。 79年、大晦日、文化放送主催のイベントが新宿ミラノ座で開かれ、ゲスト出演した。池田芳夫カルテット、古沢良治郎クインテットと「新宿ジャズ賞」を分け合い、これをきっかけに広く知られるようになった。 82年からテイチクで3枚のアルバムを発表。85年、エピックソニーに移籍した。 85年ニューヨーク、ハーレムのジャズ・クラブ、SUTTUNに1カ月出演、実力を高く評価された。帰国後日野皓正グループのゲストとして全国ツアーに参加している。86年製作のアルバム「ア・タッチ・オブ・ラヴ」はスティーブ・ガッド、エディー・ゴメス、マイケル・ブレッカーなどが参加している。87年も同様のミュージシャンが参加しレコーディングしたアルバム「フォー・ラヴァーズ・オンリー」を発売。このアルバムは翌年、CBSから全米発売した。 1988年、ニューヨーク、ボトムラインでの世界的イベント「east meets west」に出演し成功を収めている。 日本では1989年に日本ジャズ・ボーカル大賞を受賞、スイングジャーナル誌の人気投票では88年89年、90年と3年連続女性ボーカル1位となっている。 90年発売のアルバム「ナチュラル・ウーマン」の発売蒔には、スティーブ・ガッド、リチャード・ティー、ロニー・キューバとともに、東京、大阪、名古屋でライブを行っている。同年の東京パルコ劇場のライブには来日中のナンシー・ウイルソンが飛び入り参加した。 2004年、押井守監督のアニメーション映画、海外の有名映画祭でも話題となった「イノセンス」のテーマに「follow me」が採用された。詠嘆する歌い方が映画作品の世界観に合ったようである。 アニメーションは彼女と深からぬ縁がある。武蔵野美術大学短期大学油絵科を卒業した彼女が最初に就職したのはアニメ製作会社であった。下請けの下請けという製作会社で、製作元が違う「オバケのQ太郎」(東京ムービー)、「リボンの騎士」(虫プロダクション)などの動画を描いていたようである。新宿のクラブで歌っていたのは、この製作会社の倒産後、その専務の紹介だった。 因みに「follow me」は1988年のレコーディング。ドラムスとボンゴはスティーブ・ガッド、ベースはエディ・ゴメス、ピアノとハモンドはリチャード・ティー、ウオーレン・バーナード、ドブロギターがヒュー・マクラキンという豪華メンバーである。収録は前述の「フォー・ラヴァーズ・オンリー」。88年6月、ラジオ&レコードのコンテンポラリージャズ部門17位にチャートインした。 フォロー・ミー
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